Weinberg の2つの教科書
- Gravitation and Cosmology (1972)
- Cosmology (2008) (日本語版「ワインバーグの宇宙論」小松英一郎 訳(2013))
に書いてある宇宙背景放射 CMB の「双極的異方性」の式が異なっている件。
Gravitation and Cosmology (1972) の式 (15.5.24)
archive.org で当該ページ(p.522)をみることができる。
$$T’_{\gamma 0} \equiv \left(\frac{\nu’}{\nu}\right) T_{\gamma 0} =
[1 – v_{\oplus}^2]^{-1/2}\,[1 – v_{\oplus}\,\cos\theta ] \,T_{\gamma 0} \tag{15.5.24}$$
ここで,$v_{\oplus}$ はCMB 静止系に対する(観測者がいる)地球の運動速度であり,$\theta$ は地球の運動速度と光子の運動量(進行方向)とのなす角,$T’_{\gamma 0} $ は運動する観測者が観測するCMBの温度,$T_{\gamma 0} $ は CMB に対して静止している観測者が(もし存在するのであれば)観測するCMBの温度である。
この式では, CMB に対する地球の速度 $v_{\oplus}$ に比例した角度依存項は分子に $\cos\theta$ があるので,双極異方性 dipole anisotropy のみ。
「ワインバーグの宇宙論」(2013) の式 (2.4.6)
「ワインバーグの宇宙論 上」(2013) の p. 138
$$T’ = \frac{T}{\gamma \left( 1 + \beta \cos\theta\right)} \tag{2.4.6}$$
ここで,
$$\beta = \frac{v}{c}, \quad \gamma = \frac{1}{\sqrt{1-\beta^2}}$$
であり,$v$ はCMB 静止系に対する観測者がいる地球の運動速度であり,$\theta$ は地球の運動速度と光子の運動量(進行方向)とのなす角,$T’ $ は運動する観測者が観測するCMBの温度,$T$ は CMB に対して静止している観測者が(もし存在するのであれば)観測するCMBの温度である。
この式では,角度依存項が分母にあるため,$\beta$ の1次までの展開なら同等だが,$\beta$ の2次以上の項で前述の (15.5.25) 式と異なってくる。どちらが正しい式であろうか…
ローレンツ変換によらずにドップラー効果および光行差の式を求める
ここでは,ワインバーグの導出法に従うのではなく,ローレンツ変換によらない統一的手法によって,膨張宇宙を含む一般相対論的状況においても成立するドップラー効果の式と光行差の式を用いる。
詳細は,以下のページ:
上記のページの結果をまとめると,CMB 静止系での振動数 $\omega$ をあらためて $\omega_0$,CMB 静止系に対し,速さ $V$ で運動する観測者が測定する振動数 $\bar{\omega}$ をあらためて $\omega_{\rm obs}$ とすると,
$$\omega_{\rm obs} = \omega_0 \frac{\sqrt{1-V^2}}{1+V \cos\bar{\theta}}$$
であり,ここで $\bar{\theta}$ は運動する観測者の速度と光の進行方向とのなす角を,運動する観測者が測定した角度である。誰が測定した角度か,はっきりさせることは重要である。なぜならば…
光の進行方向は,観測者の運動によって変わる。この現象は「光行差」として知られている。同じ光を観測していても,その進行方向を表す角度は観測者の運動速度によって変わる。静止観測者が測定する進行方向を表す角度を $\theta$ とすると,
$$\cos \bar{\theta} = \frac{\cos\theta -V}{1 – V\cos\theta}$$
誰が観測する角度なのか(静止観測者なのか,運動観測者なのか)をはっきりさせて,それに応じて角度の表記も区別しえおくことが肝心である。
ドップラー効果によるCMBの異方性の式
CMB の温度 $T$ は光の振動数と同じように宇宙論的赤方偏移やドップラー効果を受ける。つまり,運動する観測者が測定する CMB の温度 $\bar{T}$ と静止観測者が測定する温度 $T$ との関係は,
$$\bar{T} = \frac{\omega_{\rm obs}}{\omega_0} T = T \frac{\sqrt{1-V^2}}{1+V \cos\bar{\theta}}$$
これが,我々が主張するところの,ローレンツ変換によらない統一的手法によって導き出した,ドップラー効果効果による CMB の異方性の式である。
これをつらつらと眺めてみると,ワインバーグの 2013:(2.4.6) 式にきわめてよく似ていることに気づく。ここでは,本サイトの基本方針にしたがって,運動する観測者の量にはバー ($\bar{\ }$) をつけてあらわした式をそのまま引用した。以下では,ワインバーグの方針にしたがい,運動する観測者の量にはダッシュ (${}’$) をつけることにして話を続けよう。
光行差の式で解決!
この一見異なる2つの式 1972:(15.5.24) と 2013:(2.4.6) は,角度 $\theta$ の意味をきちんと区別して,光行差の式を使うと同等であることを示す。
まず,比較しやすくするために 1972:(15.5.24) 式を以下のように記号表記をそろえて書き直す。
$$T’ = \frac{1 – \beta \cos\theta}{\sqrt{1 – \beta^2}} T \tag{$A$}$$
ここで,$\theta$ は原著 p.522 に書いてあるように
where $\theta$ is now the angle between the velocity of the earth and photon.
だが,CMB に対して静止している系での角度であることに注意。
次に,2013:(2.4.6) 式も少しだけ記号表記を変えて書き直す。
$$T’ = \frac{\sqrt{1 – \beta^2}}{\left( 1 + \beta \cos\theta’ \right)} T \tag{$B$} $$
ここで $\theta’$ は,地球の運動方向と光子の運動方向とのなす角であるが,【ここが大事】運動している地球からみた角度であることに注意。
$\theta$ と $\theta’$ は以下の光行差の式で関係づけられる。
$$\cos \theta’ = \frac{\cos\theta – \beta}{1 – \beta \cos\theta}$$
これを使うと,
\begin{eqnarray}
1 + \beta \cos\theta’ &=& 1 + \frac{\beta\cos\theta – \beta^2}{1 – \beta \cos\theta} \\
&=& \frac{1 – \beta^2}{1 – \beta \cos\theta} \\
\therefore\ \ \frac{\sqrt{1 – \beta^2}}{\left( 1 + \beta \cos\theta’ \right)} T &=& \frac{1 – \beta \cos\theta}{\sqrt{1 – \beta^2}} T
\end{eqnarray}
したがって,$(A)$ 式と $(B)$ 式は等しいことがわかる。つまり,Weinberg は(本人は区別できているのだろうが)CMB 静止系でみた角度 $\theta$ と,地球静止系でみた角度 $\theta’$ を区別せずに $\theta$ と表記したために,いらぬ混乱をまねいただけであり,$(B)$ 式のように,地球静止系でみた角度はちゃんと $\theta’$ と書き分けると,混乱はなく,2つの式が同等であることがわかるのである。
また,これらの角度は地球の運動方向と光子の運動方向とのなす角であるから,地球の運動方向からくる光については,$\theta$ または $\theta’$ が($0$ ではなく)$\pi$ ラジアンとなり,縦ドップラー効果の式
\begin{eqnarray}
T’ &=& \frac{\sqrt{1 – \beta^2}}{\left( 1 + \beta \cos\pi \right)} T \\
&=& \frac{1 – \beta \cos\pi}{\sqrt{1 – \beta^2}} T \\
&=& \sqrt{\frac{1 + \beta}{1 – \beta}} T > T
\end{eqnarray}
が得られる。進行方向の温度が高い!
また,観測者からみて真横 $\displaystyle \theta’ = \frac{\pi}{2}$ $\displaystyle\left( \theta \neq \frac{\pi}{2}\right)$のとき,横ドップラー効果の式
\begin{eqnarray}
T’ &=& {\sqrt{1 – \beta^2}} \,T < T
\end{eqnarray}
が得られる。
まとめ
観測者の運動に起因するドップラー効果による CMB の双極異方性を表す式について,同じ著者,ワインバーグが書いた2冊のテキストに書かれている式が異なることを発見し,どちらが正しい式かを確かめるため,我々の研究室で構築してきた「ローレンツ変換によらない統一的手法」によって,ドップラー効果の式を導いた。
その結果は,ワインバーグの 2013:(2.4.6) 式とよく似ており,実際,ワインバーグの式に現れる光の進行方向をあらわす角度 $\theta$ を,運動する観測者が観測する角度 $\theta’$ に変更することで,我々の導いた(正しい)式と全く同じになることがわかった。
つまり,CMB 静止系でみた角度 $\theta$ と,地球静止系でみた角度 $\theta’$ を区別せずに $\theta$ と表記したしたことが混乱を招いた原因であることがわかったのである。
また,ワインバーグも述べているように,
$$T’ = \frac{\sqrt{1 – \beta^2}}{\left( 1 + \beta \cos\theta’ \right)} T \tag{$B$} $$
が正しい式であるので,$\beta$ に関するテイラー展開を行えば,$\beta$ の1次では確かに $\cos\theta’$ に比例する双極異方性の項があらわれるが,値は小さくなるものの,$\beta$ の2次以上では双極異方性以外の高次の多重極異方性もまた自然にあらわれることも,我々の導出したドップラー効果の式から言えることになる。
なお,実際の CMB の観測から双極異方性の程度は $10^{-3}$ つまり,$\beta \sim 10^{-3}$ である。$\beta^2$ の項はどのくらいの大きさですか?という想定質問にもちゃんと答えられるように。